ワイ、そして IT ときどき何か。

日々のとりとめのない記録

アドラーを見て思う一言

 

最近の人はそれほど強くはない。弱さに溢れていると言っても過言ではない。

確かにアドラーの言うことは正しいし、それによって救われた人も多い。僕だってそうだ。

でもアドラーは強者にならなければ救われないことを促しているし、弱者である必要性に関しては一切触れていない。悲しいことに弱者でなければ生きていけない人は多いのが現代社会だったりする。

それは競争社会があまりにも激化し、その競争の結果、弱者が生み出されざるえない社会へと発展した。いわゆるベーシックインカム理論だ。

これは経済社会でしか当てはまらない理論ではあるが、現社会で言えば経済的強者は経済的弱者を救済する手段を持っている。

それを駆使すること無く甘えだと言う人も多いが、当の本人は甘えではない。すべて世間が悪いことになっている。

 

ゆうきゆう先生が言うように、自分が悪い、という概念があればすべての人は救われるはずだが、そうは思えない弱者は一定数いる。その一定数を救うのがかつては宗教であったが、現社会では心理学だと僕は思う。ニーチェの言う「神は死んだ」故に、科学的に救済があるのは現時点では心理学・脳科学だと思う。故に僕は、強者の心理学であるアドラーとその弟子やアブラハム・マズロー、そしてその弟子たちの言葉を信じる。

 

もちろん、僕はアドラーが大好きだし、遺している理論は正当だと思う。そして、本当の強者であるアドラーの理論を実行している人たちが本当の幸せを得ていることを知っている。だがしかし、一瞬のカタルシスでアドラーを脳内分泌麻薬的な材料としている人たちも知っている。それが悲しい。